古市孝慈
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- 慶安2年(1649年)3月、江戸にて古市玄政の子として生まれる[3]。父・玄政と同じく儒学、医学、陽明学を学んだ。
- 延宝9年(1681年)3月、儒官として上野厩橋藩(前橋藩)の第5代藩主である酒井忠挙に150石で召し抱えられる。
- 貞享元年(1684年)5月、藩領地誌「前橋風土記」の調査編集を命ぜられる。さらに忠挙に従い江戸に移る。
- 貞享3年(1686年)、「上野国玉村八幡宮縁起」を著す。
- 貞享4年(1687年)、「図書分図解」を著す。易経による卜占八卦や陰陽五行思想などの陰陽道や吉凶悔吝を分かりやすく図解したものである[2]。
- 元禄3年(1690年)、漢詩作の作法書である「芳林詩田」12巻8冊を出版する[4]。
- 元禄11年(1698年)、「経書字弁」版本2巻2冊を出版する[5]。
- 元禄14年(1701年)、「卜筮指南大全」5冊を出版する[2]。天の理が富貴や貧困、豊作や凶作といった人間社会の盛衰を左右するものであると説き、その理を占卜によって事前に知ることができれば、災いを避けることが可能になるとして、その占法や実践手順を論じた内容である。
- 享保5年(1720年)8月、浅草松清町(現・東京都台東区西浅草)の「崇福寺始源傳來之記 」を著す[3]。
- 享保7年(1722年)8月6日 、74歳で卒し東京都台東区の日蓮宗圓妙山大行寺に葬られた[6][4][7]。