祖父が地元選出の国会議員の後援会幹部をしていたことも影響し、当初は政治家を志望していたという。自分の周りに政治家がいなかったため、まずは官僚になろうと東京大学に入学。樋口陽一の憲法や塩野宏の行政法のゼミを履修していた[1]。大学卒業後は自治省に入省するも、1年で辞め、弁護士となった。政治家になるための前段として自治省に入省したが、前例踏襲の慣習が合わなかったという。
国際的な商事の訴訟や仲裁を得意とする。蝶ネクタイがトレードマーク。在外日本人選挙権訴訟の原告側弁護団にも参加した。国際民事訴訟法に関する著作多数。