古賀善次
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福岡県人、海産物商・古賀辰四郎の長男[1][3]。1918年、家督を相続した[1][2]。海産物輸移出商[注 1]としてほとんど全県下に取引網を有した[1]。時世の進運に伴い、組織を株式会社に変更し、自ら其社長となり、家業堅実に益々隆盛の一途を辿った[1]。
なお業務の傍ら那覇無尽の監査役であった[1]。その他那覇市水産会代議員、同評議員、那覇鰹節商同業組合、財団法人沖縄奨学会、沖縄県体育協会、那覇市体育協会等の各評議員として多方面に重きをなした[1]。
1972年、南小島と北小島を埼玉県大宮の栗原國起に譲渡[4]。1978年3月、死去。古賀善次とその妻花子の墓は、埼玉県大宮の曹洞宗大成山普門院栗原家代々の墓所にある[4]。