古賀清志
日本の海軍軍人
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生涯
長崎県佐世保市で生まれ、佐賀県佐賀市で育つ。佐賀中学を経て、1928年、海軍兵学校56期卒。 王師会会員となる[3]。
1931年(昭和6年)12月、霞ケ浦海軍飛行学生、海軍中尉となる[2]。
1932年(昭和7年)五・一五事件では牧野伸顕邸や警視庁を襲撃。
事件後、横須賀鎮守府軍法会議で反乱幇助罪に問われ、禁錮15年の刑を受け失官。小菅刑務所に服役する。これにより従七位を失位[4]、大礼記念章(昭和)を褫奪された[5]。服役中に紀元節、憲法発布五十周年祝典の恩赦を受けて減刑、1938年(昭和13年)7月4日に同じ海軍の事件関係者である三上卓、黒岩勇とともに仮釈放[6]。 その後は、中国華北青島の海軍特務部新民会などに勤務。
1955年(昭和30年)3月6日、不二流体術を創始。
1997年(平成9年)11月23日に死去。
著書
- 古賀不二人『私の歩道 : 五・一五反乱将校の鎮魂譜』(島津書房 1986年)