台渡里官衙遺跡群
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遺構
長者山地区出土 軒丸瓦
茨城県立歴史館展示。長者山地区の遺跡は東西約300メートル、南北約200メートルの土地に二重の区画溝(堀)をめぐらし、礎石建ての建物が建っていた[1]。
寺院遺跡である観音堂山地区と南方地区は互いに150メートルほど離れている。前者は飛鳥時代の寺院跡であり、これが平安時代初期に焼亡し、後者の寺院に承継されたとみられる[2]。
観音堂山地区は、南北156メートル、東西126メートルの寺地に金堂、講堂、塔、中門。経蔵(または鐘楼)とみられる礎石建物跡が存在する。7世紀後半に創建され、9世紀後半に焼失したとみられる[2]。
南方地区は、南北210メートル以上、東西220から240メートルの寺地に金堂と塔とみられる礎石建物跡が存在する。上記観音堂山地区の寺院が9世紀後半に焼失した後、当地に再建されたが10世紀初頃には造営が中断している。当該寺院は常陸国那賀郡衙の関連寺院とみられる[2]。