台湾同化会
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成立

大正3年(1914年)2月18日、林献堂らの招きによって台湾を訪問した板垣退助は、台北、台南、台中、台北の順に台湾全土を視察し、台湾人の地位向上を目指し「台湾の統治は同化主義をとるべき」と主張した。ここでいう「同化」の意味は異民族を同種の民族に同化し、平等無差別の待遇で台湾人に対応し、島民に日本臣民であることを自覚させ、よって台湾を日本に永続させることを目的とするものであった。この後、板垣は本土へ戻り、政府要人らと会合を開いてこの問題に取り組んだ。さらに同年12月、再度、訪台し12月20日、林献堂、蔡培火、蔡恵如らと台北市で「台湾同化会」の設立大会を開いた。参加者は、500名余りで、その場で板垣を総裁に推挙した[1]。
本会の趣旨と台湾総督府による圧迫
本会の意義
本会は、日本統治時代下の台湾における政治・社会文化活動での最初の本格的な団体である。矢内原忠雄も、その著書「帝国主義下の台湾」において、「台湾近代的民族運動の端諸」であり「此運動が台湾の政治的発展に対し一転機を画したるは明らか」と評している。また「これに参加したる台中の資産家・林献堂氏を中心として、本島人の民族運動起り、(中略)私立台中中学校設立請願はその第一声であった」とする[4]。
本会以降の台湾人による政治・社会文化活動について
→詳細は「日本統治下の台湾における台湾人政治運動」を参照
評価
今日ではこれが台湾史上初の「台湾議会」発足の提案であり、その後、林献堂らを中心としてそれらが成されたことから、この発足会での板垣退助の演説が、現在も連綿と続く台湾議会(台湾の国会)の起源とされている[5]。