日本が統治していた時期の台湾では、台湾総督府により大規模な移民政策が行われ、その際に設置された集落。そこには北海道や四国などの農村地帯から西洋文明の影響を受けた日本人が移り住み、台湾の農業に大きな影響を与えていた。日本が敗戦してからの戦後に、日本移民村の日本人は帰国させられていた[1]。
私設移民村というのも存在していた。賀田金三郎は後藤新平の信頼を勝ち取り花蓮に私設移民村を設置して花蓮に根付こうとしていたのだが、そこでは台湾の先住民族との激しい抗争が行われることになっていた[2]。
日本移民村だった場所では、日本式家屋や鳥居などが残存しているところもある[3]。