右田寅彦

From Wikipedia, the free encyclopedia

右田 寅彦(みぎた のぶひこ、慶応2年2月6日1866年3月22日) - 大正9年(1920年1月11日)は大正時代の劇作家歌舞伎狂言作者、小説家

豊後国(現・大分県)臼杵に臼杵藩士の子に生まれる。右田年英の実弟。柳塢亭、矮亭主人と号す。明治10年代、11歳時には上京、三田英学校や漢学塾に学んだ後、高畠藍泉に師事する[1]めざまし新聞都新聞において多くの戯曲の脚本、艶種(つやだね)や雑報などを執筆した。その後、東京朝日新聞に入社して主に小説を書いた。明治38年(1905年)には栗島狭衣らと文士劇の劇団、若葉会を結成する。明治42年(1909年)に帝国劇場が開場されるのに伴い、立作者となって多数の戯曲を執筆した。その作品に「塩原高尾」、「生島新五郎」、「水谷高尾」、「堀部妙海尼」、「鎌倉 武士」、「お江戸日本橋」などが挙げられる。 墓所は芝区高輪東禅寺

作品

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI