司馬覲
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生涯
太康4年(283年)に父が急死したために王位を継承する。この際に父の遺命に従って3名の弟に領土を分封してそれぞれを王とした。冗従僕射に任命されるが、太熙元年(290年)に35歳で急逝した。長男の司馬睿が後を継いだ。
長男の司馬睿は司馬覲の死後まもなく勃発した八王の乱・永嘉の乱により晋朝と江北が混乱すると、それを避けて江南に逃れ(五馬渡江)、西晋王朝崩壊後に自ら皇帝に即位した(東晋の元帝)。琅邪国は皇帝の重要な縁戚として東晋の末期まで続いた。子の司馬渾(元帝の弟)は司馬覲の弟の東安王司馬繇が永安元年(304年)に成都王司馬穎に殺害されて後継者がなかったので、その後を受け継いだ。しかし子がないまま早世し、東安国は廃止されてしまった。