司馬順 From Wikipedia, the free encyclopedia 司馬 順(しば じゅん、3世紀後半ごろ)は、三国時代の魏から西晋にかけての武将・政治家。字は子思。 司馬懿の弟である司馬通の次男。魏では習陽亭侯に封じられた。 泰始元年(265年)、司馬炎(武帝)が禅譲を受け晋王朝を開くと、「事情は唐虞(堯舜)の時とかけ離れているのに、偽の禅譲を騙るとは!」と批判し、悲しんで泣いた。 この発言が問題とされ、涼州武威郡姑臧県へ流罪となった。しかし、発言を撤回することなく、流された先で死去した。 参考文献 『晋書』司馬順伝 『三国志』杜恕伝注『晋書』(王隠) - 王隠の『晋書』は東晋の時代の編纂であるため、晋の正当性を否定している司馬順の発言内容を明記せず、「(司馬順は)天命を悟らず、節義を守って心変わりしなかった」と遠回しに記述している。 関連項目 禅譲 司馬孚 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 Related Articles