吉住留五郎

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市民権 日本人
職業 ジャーナリスト、スパイ
吉住 留五郎
吉住 留五郎
生誕 (1911-02-09) 1911年2月9日
大日本帝国山形県西田川郡大泉村
死没 1948年10月8日(1948-10-08)(37歳没)
オランダ領東インド東ジャワ州ブリタル
市民権 日本人
職業 ジャーナリスト、スパイ
雇用者 大日本帝国海軍
著名な実績 インドネシア独立戦争中のインドネシアへの亡命
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吉住 留五郎(よしずみ とめごろう、ムスリム名:アリフ、1911年2月9日 - 1948年8月10日)は、インドネシア独立戦争中にインドネシアへ亡命した日本の諜報員、ジャーナリストである。明治時代後期の東北地方に生まれ、20代前半でオランダ領東インドの日本人社会に加わった。吉住は、現地の日本語新聞社に勤務する傍ら、ジャワ島スラウェシ島で日本のスパイ網のために地元民を勧誘した。彼は著名な国家主義者であり、「東亜新秩序」を支持していたとされる。文官であったが、大日本帝国海軍に編入され、将校の階級を得た。

第二次世界大戦の勃発に伴いジャワ島から追放されたが、不法入国して日本がオランダに宣戦布告した1941年に逮捕された。オーストラリアの抑留キャンプで過ごした後、1942年8月の捕虜交換で釈放され、当時日本の占領下にあった東インドへ戻った。日本海軍の諜報機関である海軍武官府の長を務めていたが、1945年までにインドネシアのナショナリズムマルクス主義に傾倒していった。彼は、スカルノモハマッド・ハッタインドネシア独立宣言に署名することを確実なものとし、その宣言文の起草も手伝った。その後、吉住はタン・マラカの反オランダゲリラ網に参加し、東ジャワでの戦闘に兵士として参加した。これらの活動により独立戦争に身を投じることになったが、1948年に肺疾患により病死した。

関連項目

脚注

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