吉安豊英 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不明死没 不明改名 冷泉豊英、吉安豊英 凡例吉安豊英時代 戦国時代生誕 不明死没 不明改名 冷泉豊英、吉安豊英別名 刑部主君 冷泉興豊、隆豊、元豊氏族 多々良姓大内流冷泉氏庶流吉安氏父母 冷泉興豊兄弟 冷泉隆豊、豊英子 満定テンプレートを表示 吉安 豊英(よしやす とよひで)は、戦国時代の武将。大内氏家臣である冷泉氏の一門。 豊英が生まれた冷泉氏の本姓は多々良氏であり、大内氏の支流である。父・冷泉興豊が母方の冷泉家の家号を称して冷泉氏を名乗った。 生涯 大内氏家臣である冷泉興豊の子として誕生。豊英は名字を「吉安」へと改め、冷泉氏の当主に代々仕えた。 天文20年(1551年)9月1日、大寧寺の変において大内義隆に最期まで付き従った兄・隆豊が戦死。豊英は隆豊の嫡男である五郎(後の冷泉元豊)と次男の四郎(後の冷泉元満)を連れて安芸国の国人・平賀氏の前当主であった平賀弘保の許へと逃亡した。 その後、難を逃れた元豊は弘治元年(1555年)から始まる毛利元就の防長経略の際に毛利氏に仕え始めた。豊英のその後の動向は不明だが、豊英の後は嫡男・満定が継いだ。 脚注 参考文献 『萩藩閥閲録』巻72「冷泉勘右衛門」 Related Articles