吉岡昌仁

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生誕 1959年
死没 2016年1月14日(満56歳没)
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
よしおか まさひと

吉岡 昌仁
生誕 1959年
死没 2016年1月14日(満56歳没)
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
職業 アニメプロデューサー
活動期間 1984年 - 2015年
団体 トムス・エンタテインメント
テレビ番組魔法騎士レイアース
名探偵コナン
電波教師』他
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吉岡 昌仁(よしおか まさひと、1959年[1] - 2016年1月14日[2])は、トムス・エンタテインメント(東京ムービー)に所属していた日本アニメプロデューサー。同社の元企画本部プロデューサーで、デジタルハリウッド大学客員教授[2]も務めた。愛称は「よっしー[1]

仕上げとしてアニメ業界入りし、トレーススタジオMに勤務して『忍者ハットリくん』などに参加する。その後、制作に転向し、1984年東京ムービー新社(のちのトムス・エンタテインメント)へ入社。以後一貫して制作畑を歩み、『魔法騎士レイアース』が初プロデュース作品となる。これ以降、読売テレビ日本テレビ系列)やテレビ東京系アニメを主に手掛ける。

名探偵コナン』のプロデューサー(2003年、チーフプロデューサーに昇格)を放送開始当初から長らく務めていたが、2011年8月の制作会社の名義変更(東京ムービー→トムス・エンタテインメント)に合わせるように降板。その後は持病の関係か、制作現場からは距離を置いていた。

2015年に放映された『電波教師』でチーフプロデューサーを務める。本作は旧知のプロデューサーである植田益朗の指示の下、吉岡の現場復帰を後押しするため、A-1 Picturesを制作現場にしながらトムス・エンタテインメントが制作プロデュースする形(ノンクレジット)となった。結果的にプロデュース作としてはこれが遺作となる。

放送終了後の2015年12月に肝臓病で入院し、翌2016年1月14日に死去[1]。同年2月15日中野サンプラザにて「吉岡昌仁さんありがとうの会」が執り行われた[1]。また、同年4月に公開された劇場版『名探偵コナン 純黒の悪夢』ではエンディングの終盤にて追悼の意味をこめて『In memory of 吉岡昌仁』というメッセージが表示された。

主な担当作品

テレビアニメ

劇場アニメ

OVA

  • 天外魔境 自来也おぼろ変(1990年、制作担当)
  • ウィザードリィ(1991年、制作担当)
  • からくりの君(2000年、プロデューサー)[26]
  • 名探偵コナンシリーズ (プロデューサー→チーフプロデューサー)
    • 名探偵コナン コナンvsキッドvsヤイバ 宝刀争奪大決戦! (2000年)
    • 名探偵コナン 16人の容疑者 (2002年)
    • 名探偵コナン コナンと平次と消えた少年 (2003年)
    • 名探偵コナン コナンとキッドとクリスタル・マザー (2004年)
    • 名探偵コナン 標的は小五郎!! 少年探偵団マル秘調査 (2005年)
    • 名探偵コナン 消えたダイヤを追え! コナン・平次vsキッド! (2006年)
    • 名探偵コナン 阿笠からの挑戦状! 阿笠vsコナン&少年探偵団 (2007年)
    • 名探偵コナン 工藤新一 謎の壁と黒ラブ事件 (2008年)
    • 名探偵コナン 女子高生探偵 鈴木園子の事件簿 (2008年)
    • 名探偵コナン 新一と蘭・麻雀牌と七夕の思い出 (2009年)
    • 名探偵コナン 10年後の異邦人 (2009年)
    • 名探偵コナン 大阪お好み焼きオデッセイ (2010年)
    • 名探偵コナン KID in TRAP ISLAND (2010年)
    • 名探偵コナン 新潟〜東京 おみやげ狂騒曲 (2011年)
    • 名探偵コナン ロンドンからの秘指令 (2011年)

関連項目

外部リンク

脚注

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