吉岡逸夫
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1952年(昭和27年)、愛媛県岩城島に生まれる[4]。高校卒業後、写真専門学校で写真と映像を学ぶ[4]。卒業後、青年海外協力隊に応募し、合格する[4]。協力隊への応募同機について吉岡は、「日本がイヤだったから逃げ出したかっただけ。そのころから日本での生きにくさってのを感じてたんだよね。オレ、日本ではイジメられてきてたから、そんな日本を好きになれないよ。東京の二年間もイヤだった。人間がイヤだったね。だから青年海外協力隊の募集を見つけて応募したんだよ」と語っている[4]。
1972年(昭和47年)に、青年海外協力隊の隊員としてエチオピアへ派遣(昭和47年度1次隊、職種:映像)される。2年の活動後、日本に戻り、テレビCMを作っている制作会社に就職[5][注釈 1]。しかしエチオピアの難民救済委員会で広報の仕事をしている人から仕事の協力要請の手紙を受け取り、1年で退職して再びエチオピアへ向かった[5]。
1年後、再びエチオピアから帰国[5]。ドキュメンタリー映像製作を希望し、ドキュメンタリー映像作家の牛山純一のところで面接を受けるが、不合格となる[5]。まざまなアルバイトを経験しながら数10社の求人に応募[5]。旅行専門雑誌の編集部員として出版社に就職した[5]。
エチオピアでの活動を元に、写真集を出版[5]。その後、青年海外協力隊の就職支援窓口の斡旋で中日新聞社のカメラマンとして採用される[5]。カメラマンとして湾岸戦争、自衛隊カンボジア派遣などを取材[6]。自衛隊カンボジア派遣時の取材で撮影した写真が東京写真記者協会賞を受賞した[6]。
1995年(平成7年)、上司を説得しカメラマンから新聞記者に転向し、横浜支局の地方記者となる[6]。この頃、自衛隊ルワンダ難民救援派遣での取材を元にした『漂泊のルワンダ』を執筆し、開高健賞奨励賞を受賞[6]。その後、本社の芸能部、東京新聞社会部記者として活動[6]。