吉川久衛

日本の政治家 (1905-1978) From Wikipedia, the free encyclopedia

吉川 久衛(きっかわ きゅうえ、1905年4月10日 - 1978年6月20日)は農業協同組合運動の推進者、衆議院議員

吉川久衛

来歴

長野県上伊那郡飯島村生まれ。赤穂村立公民実業学校(長野県赤穂高等学校)を経て、1932年明治大学法学部英法学科卒業[1]。同年農林省(現・農林水産省)に入省し大臣官房吏員、興農合作社中央会科長、中央農業会課長、戦時農業団秘書役などを歴任した。戦時中は満洲に5年間派遣された。

1947年第23回衆議院議員総選挙を皮切りに長野県第3区から出馬し、断続的に計8回当選した。

衆議院では農林政務次官(第2次鳩山一郎内閣)、農林水産・決算・地方行政の各常任委員長などを歴任し、農業基本法・農業管理法の制定、農協共済制度・農林年金制度の確立などに功績があった。

一方で農協運動指導者として農協中央会、農協各連合会の育成指導にも力を注いだ。著書に『農業協同組合法要論』などがある。

1978年6月20日、脳出血のため、駒ヶ根市昭和伊南総合病院で死去。73歳[2]

出典

参考文献

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