大阪府南河内郡狭山村(のち狭山町、現・大阪狭山市)出身[3]。1935年(昭和10年)狭山高等小学校卒業[3]。1951年(昭和26年)狭山村役場に入り[3]、土木建設、厚生衛生、水道の各課長などを経て[3]、1962年(昭和37年)9月、狭山町長に当選する[3]。
町長在任中に役場新庁舎、町立公民館・図書館・総合体育館などが完成し、町の人口は増えて、6期目の1985年(昭和60年)には5万人を突破した。7期目の1987年(昭和62年)に狭山町は市制施行し、「大阪狭山市」となり、初代市長に就任した。
1990年(平成2年)には町長時代から数えて8回目の当選[4]。8期目途中の1992年(平成4年)に健康上の理由から市長を退任した[3]。翌年、呼吸不全により死去。