吉川文夫
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東京本郷の尚工舎(現・シチズン時計)の工場を運営する家に生まれる。祖父は元工場長の吉川政吉、父は元NHK芸能局長の吉川義雄。 幼少時東京都世田谷区に住み、近所の井の頭線、小田急線、東急線などを見て育ち、東急は小学校の通学にも使った(都市名・社名・路線名は現在のもので表現)。1955年(昭和30年)3月日本大学第二工学部電気工学科卒業。
のちに神奈川県鎌倉市に家を構え、本業は池貝鉄工勤務、累進して溝の口工場長[1]を最後に退職。その後、大和電業に勤務し、関東学院大学、神奈川大学(いずれも工学部)で非常勤講師も務めた。1997年(平成9年)、65歳で大和電業を退職した。
晩年の数年間は入退院を繰り返し、原稿依頼も書籍など大型なものから、エッセイ等短いものへの限定を余儀なくされていった。
最後の数か月は寝たきりとなり、地元の車両・江ノ島電鉄新500形にもなかなか乗れないことを残念がっていたと言う。
鉄道関係の功績
専門は私鉄、特に車両史であり、自らローカル私鉄に出かけて膨大な写真や資料を採取。私鉄や私鉄電車に関する情報量では日本一とも言われた。国鉄・JRは専門外だが「買収国電」「私鉄の103系」といった、国鉄と私鉄が絡む記事には高い頻度で登場している。
吉川の文章は単なる情報の羅列や見聞録だけでなく、吉村光夫や野村董同様、ウィットとユーモアにちなむ文才で知られていた。その吉村とは生前、同じ神奈川地区在住で私鉄ファンと言うこともあり、最も親交の深い一人であった。またヤマケイ私鉄ハンドブック「京浜急行」では吉川と吉村が1枚の写真内に映っているものが掲載されている。
曽根悟の様な公共交通政策、および種村直樹の様な汽車旅にも造詣が深い記述を時折見せたが、この二分野については専門の記事を残したことはない。
鉄道友の会には創立時から関わり、副会長、理事、東京支部長、私鉄部会長などを歴任。他に京急電車ファンクラブ、トラストトレイン、産業考古学会などにも名を連ねていた。