吉村豊文
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業績
生涯にわたって一貫して日本におけるマンガン鉱床の成因と、産出する鉱物の研究に力を注いだ。特に初期の頃、栃木県加蘇鉱山のマンガン鉱床を精査し、種々の新産鉱物を記載したことは、日本におけるマンガン鉱床の記載的研究の嚆矢とされる。この研究により、日本地質学会から日本地質学会賞を受賞。九州大学に移ってから、研究対象は全国のマンガン鉱床に及び、膨大な記載データを纏めて出版した。またこのほかに、1934年に北海道轟鉱山から轟石(Todorokite)、1936年に北海道手稲鉱山から手稲石(Teineite)という2種の新鉱物を発見している。この研究に対し日本鉱物学会から櫻井賞が贈られた。
1961年に岩手県野田玉川鉱山で発見された新鉱物、吉村石 (Yoshimuraite・(Ba,Sr)2Mn2TiO(Si2O7)(P,S,Si)O4(OH)) は、吉村の業績を顕彰するために命名されたものである[1]。
主な著書
- 吉村豊文・望月勝海『鉱物学入門』、1949年、古今書院。
- 吉村豊文『日本のマンガン鉱床補遺、前編:マンガン鉱床総説』、1967年、吉村豊文教授記念事業会。
- 吉村豊文『日本のマンガン鉱床補遺、後編:日本のマンガン鉱床』、1969年、吉村豊文教授記念事業会。
参考文献
- 広渡文利「追悼 吉村豊文名誉会員を悼む」、『鉱物学雑誌』、19巻、1990年、327~329頁。