吉江喜一
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塚原高校では1966年の夏の甲子園に出場。1回戦で松山商の西本明和投手と投げ合い、延長11回の投手戦の末、0-1xでサヨナラ負けした。松山商はこの大会に準優勝。1966年第1次ドラフト会議でサンケイアトムズから2位指名を受け入団。
がっちりとした体つきで、速球とカーブ、シュートを武器に真向から勝負していくピッチングが持味。しかし、一軍では1年目終盤の10月14日の阪神25回戦(東京)の1試合だけの登板に留まり、この試合では山内一弘に史上2人目の2000本安打を打たれている。翌1968年に僅か2年で引退した。
2018年8月29日に70歳で死去したと、9月1日の信濃毎日新聞に報じられた。その記事では、名前の読みが「よしえ きいち」となっていた。