吉田信成は小栗忠順の家臣で、通称を好三といった。安政5年(1858年)1月5日には、小栗は筆頭用人であった吉田好三に対し、入金として金一両分一朱と銭十四文が渡された記録がある。万延元年遣米使節においては随行者として当時35歳で渡米した。
吉田信成は使節随行者の中でただ一人、ニューヨークにおいて旧法となっていた銀板写真に撮影された記録が残る人物であり、この写真は明治40年(1907年)ごろまで蓋つきの革製ケースに収められて遺族が所蔵していたが、現在は所在不明とされる。
小栗忠順が家臣を連れて権田村へ移住した際、信成は病身であったため江戸に残されたという。その後長命し、蜷川新をたびたび訪ね、昔話を聞かせたとも伝えられている。