吉田弥右衛門
From Wikipedia, the free encyclopedia
元禄13年(1700年)南永井村の名主の吉田家に生まれる。南永井村は川越藩主松平輝綱の新田開拓により誕生した村であるが1704年に藩主柳沢吉保の甲府への転封後は幕府領となる。 長じて名主職を継ぎ、夏場の干ばつに弱く不作の多い同地の農民を救うべく工夫を重ねていた。寛延4年(1751年)2月28日、幕府の許しを得て江戸木挽町の商人川内屋八郎兵衛の仲介で倅吉田弥左衛門(1725年-1808年)を上総国志井津村の甘藷農家長十郎方へ派遣し、甘藷の栽培法を学ばせるとともに種芋二百個を五百文で買いつける。弥左衛門の入手した種芋を元に試作を重ね、成功後近隣にこの作法を伝播し、武蔵野台地一帯を甘藷の一大産地とするまでに普及させた。弥右衛門は寛保3年(1743年)から村の出来事などを記録した「弥右衛門覚書聞書覚帳」を書き残していて、さつまいもの作り始めに関する内容も記載されている。この古文書は吉田家に現存している[1]。