吉田漱
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東京府で彫刻家の吉田久継の長男として生まれる[1]。1941年、東京美術学校油絵科に入学[1]。1943年、学徒出陣により中国大陸中部を転戦[1]。復員後の1947年に東京美術学校を卒業[1]。同年、アララギ歌会に出席し土屋文明に入門[1]。1948年、アララギの若手集団「芽」に参加[1]。1951年、近藤芳美を中心とする歌誌『未来』の創刊に参加[1]、編集を担当するなど、同誌のの推進的リーダーとなる[2]。青年歌人会議、東京歌人集会、定型詩の会にも参加して、現代短歌運動を推し進めた[2]。1969年、「利根光一」のペンネームで著書を著す[1]。
東京美術学校卒業後、東京都の公立中学校、都立高校教員を経て[2]、1976年横浜国立大学教育学部講師[1]、1978年岡山大学教育学部助教授[1]、1979年同教授[1]。1985年同大学を退職[1]。1987年まで同大学大学院講師、1990年まで多摩美術大学講師を務めた[1]。
1992年、日本浮世絵協会第11回内山賞受賞[1]。1995年『バスティーユの石』で第31回短歌研究賞受賞[1]。1998年『『白き山』全注釈』で第9回斎藤茂吉短歌文学賞受賞[1]。