吉益脩夫

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吉益 脩夫(よします しゅうふ、1899年明治32年)7月11日 - 1974年昭和49年)7月14日[1])は、日本医学者精神科医犯罪学精神鑑定など幅広く活用されている犯罪生活曲線開発者である。

岐阜県大垣市出身[1]大垣中学校第六高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学医学部卒業[1]呉秀三門下となり、同大学精神病学教室助手、東京府立松沢病院に勤務[1]1925年(大正14年)東京帝国大学文学部大学院へ入学し、1931年(昭和6年)同大学大学院心理学専攻卒業[1]。在学中、市ヶ谷刑務所精神考査嘱託を始めとし、豊多摩刑務所小菅刑務所にて犯罪学研究に従事する。1936年(昭和11年)東京帝国大学脳研究室創設に際し、講師として着任[1]。同研究室心理学部首班となり遺伝生物学、優生学犯罪学などの研究に当たる。

1942年(昭和17年)「精神病者の遺伝生物学的考察――双生児研究より見たる犯罪者の遺伝素質と環境の意義」で医学博士

1945年(昭和20年)東京帝国大学医学部脳研究所助教授[1]1950年(昭和25年)東京大学法学部講師(併任)として刑事学を担当する。1953年(昭和28年)東京大学文学部講師(併任)。1956年(昭和31年)東京大学医学部脳研究所教授[1]帝銀事件平沢貞通被告に対する精神鑑定人を務める。1959年(昭和34年)東京医科歯科大学綜合法医学研究所犯罪心理学部門教授[1]1965年(昭和40年)定年に伴い退官[1]

1974年(昭和49年)7月14日、逝去[1]

主な研究業績

脚注

参考文献

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