兄たちから柔道を習い、1955年に全日本女子プロレス協会(全日本女子プロレス興行とは別団体)に入門。リングネームは当時の人気横綱であった吉葉山から取って付けられた。
1956年1月、日大講堂で全日本バンタム級王者の立花蓉子に挑戦しドロー。
1960年に一度引退。マネージャーとして巡業を回っていた。
1968年、兄が全日本女子プロレスを旗揚げすると、短期間ながら選手復帰を果たす。引退後は全女ではマネージャーとして全盛期を支えた。
退社後に結婚して1男2女を儲け、長女は影かほるのリングネームで母と同じ道を歩んだ。
2008年(平成20年)9月18日19時3分、肺がんにより死去[1][2]。70歳没[1]。