名生館官衙遺跡
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概要
本遺跡は、中世の奥州探題大崎氏の城として名高かった遺跡である。ところが、1980年代に、この辺一帯が田・畑として開墾された際に、多数の瓦[注 1]が採集されて、古代の遺跡でもあることが分かったが、さほど古い遺跡であることは認識されなかった。その後、種々検討が重ねられ、多賀城創設を溯ることが確認された。その頃、玉造柵の有力候補地に挙がった。1980年(昭和55年)から発掘調査が行われ、その結果、玉造柵と確定する資料こそ得られなかったが、多賀城創建を溯る官衙であることは確実とされ、1987年(昭和62年)8月、国の史跡に指定された[1]。
宮城県の北部大崎地方に、7世紀末から8世紀にかけて、すでに評(郡)家が建造されていたことが判明したのである。また、大崎地方は、すでに内国化していたことが明らかになった[2]