呉国太
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概略
『三国志演義』第7回から登場する。姉の呉夫人と一緒に孫堅に嫁ぎ、孫堅の側妻になって、孫朗と孫仁(後の孫夫人)を産む。
呉夫人の死後、孫権は呉国太に生母のように孝行した。曹操の大軍が南下すると、呉国太は孫権に「亡き兄上(孫策)は内のことは張昭、外のことは周瑜に聞けと言い残したではありませんか」と助言する。孫権は周瑜の策を用い、孫仁を劉備に嫁がせ、隙を見て殺す策を立てる。呉国太は初め、娘と劉備の結婚に反対するが、劉備に会うと態度を変え、自分の娘婿にふさわしい人物と思い直すようになる。結婚後、劉備夫婦は長江のほとりへ先祖を祀りに行きたいと願い出て、呉氏は同意するが、劉備はすきを見て、孫夫人と共に逃げ出す。こうして孫権と周瑜の計略は失敗した。
孫権が荊州攻略を準備した際、呉氏は娘を劉備のもとから呼び戻すよう求める。そこで、孫夫人の旧臣である周善が派遣され、孫夫人は帰郷する。その後は呉氏の登場はない。