呉承範

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呉 承範(ご しょうはん、902年 - 943年)は、五代十国時代官僚学者は表微。本貫魏州[1]

右金吾衛将軍の呉瓊の子として生まれた。若くして学問を好み、文章を作るのを得意とした。後唐の宋王李従厚が魏博節度使となると、その才能による名声を聞いて、承範を賓職に任じた。承範は計吏とともに同行することを求め、李従厚に許可された。長興3年(932年)春、進士に及第した。長興4年(933年)春、閔帝(李従厚)が即位すると、承範は左拾遺に任じられた。清泰2年(935年)、本官のまま史館修撰をつとめ、同職の張昭遠らとともに『明宗実録』を編纂した。史館修撰をつとめたまま、右補闕に転じた[1]

後晋天福2年(937年)、承範は屯田員外郎・知制誥に任じられた[2]。天福3年(938年)2月、庫部員外郎となり、枢密直学士をつとめた[3]。11月、祠部郎中・知制誥に転じた[4]。天福4年(939年)、中書舎人・翰林学士に任じられ[5]、金紫魚袋を賜った[1]。天福8年(943年)5月、礼部侍郎に転じ[6]、知貢挙をつとめた[1]。6月[7]、病没した。享年は42。工部尚書の位を追贈された[1]

脚注

伝記資料

参考文献

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