和家麻呂
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人物
木訥な性格で、才学はなかった。天皇の外戚であったために、人臣として過分の昇進を果たしたが、天から授けられた才能には恵まれなかった。顕職に昇ってからも、旧知の者に会った際には、その者の身分が卑しいとして嫌ったりせず、握手して相語らったとして、見る者を感心させたという[1]。
官歴
注記のないものは『六国史』による。
- 延暦2年(783年) 4月20日:史姓から朝臣姓に改姓
- 時期不詳:従七位上
- 延暦5年(786年) 正月7日:従五位下。正月24日:伊勢大掾
- 延暦7年(788年) 2月28日:造酒正
- 延暦8年(789年) 5月28日:造兵正
- 延暦10年(791年) 正月28日:内厩助
- 延暦11年(792年) 正月7日:従五位上[2]。2月2日:兼美濃介[2]
- 延暦12年(793年) 正月7日:正五位下[2]。2月:兼治部大輔[2]。4月2日:従四位下[2]。5月:兼大和守[2]
- 延暦14年(795年) 2月:兼相模守[2]
- 延暦15年(796年) 3月1日:参議、大輔守如元[2]。7月28日:正四位下
- 延暦16年(797年) 3月11日:兼衛門督。7月:兼兵部卿[2]
- 延暦17年(798年) 8月16日:従三位中納言[2]
- 延暦18年(799年) 2月20日:兼治部卿。6月16日:兼中務卿、相模守如故
- 延暦22年(803年) 5月:兼宮内卿
- 延暦23年(804年) 4月27日:薨去(中納言従三位)、贈従二位大納言