和田峯幸生
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平成筑豊鉄道糒駅に併設された世界唯一の駅舎ジムである筑豊ボクシングジムに高校1年在学中に入門、ボクシングを始める。その戦績の大半が福岡県内である。
1999年4月18日、プロデビュー戦を谷川誠と行い4回判定ドロー。その後4連勝。
2000年10月6日、西部ライトフライ級新人王として、西日本新人王の岡島孝との対抗戦を大阪府立体育会館第2競技場で対戦し6回判定負けで初黒星と共に新人王戦で敗退した。
2001年3月18日、デビュー戦で引分けた谷川と再戦し、4回判定負けで2敗目を喫した。
2001年9月23日、大中元気と対戦し、4回KO勝ち。その後10連勝。
2005年11月15日、静岡県島田市中央体育館で増田信晃の持つ日本ライトフライ級王座に挑戦。10回判定で敗れ連勝ストップ。その後5連勝(5人ともタイ人)。
2008年3月15日、1度敗れている谷川と再戦し、3回KOで勝利する。
2008年11月3日、博多スターレーンでOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者ソニー・ボーイ・ハロが世界戦のための王座返上に伴いOPBF東洋太平洋同級3位および日本同級2位としてOPBF東洋太平洋同級1位およびタイ同級王者のスリヤー・クローンパジョンとOPBF東洋太平洋同級王座決定戦を行い、12回2-1の判定勝ちを収め初のタイトル奪取に成功した[1]。この試合前に勤めていた運送会社を退職しボクシングに専念できる環境にして結果を出した。また10月には長男が誕生しており二重の喜びとなった。
2009年3月29日、WBC13位にランクする時点で田川市への凱旋試合として家住勝彦(レイスポーツ)を迎えての初防衛戦が予定されていたが、同年3月16日に交通事故で負傷して入院し、退院後の25日には改めて全治3週間の診断を受け、試合は延期となった[2]。
2009年12月8日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋ライトフライ級暫定王者の家住勝彦とOPBF東洋太平洋同級王座統一戦を行うも、初回にダウンを2度奪われるなどペースを握れず12回0-3の判定で敗れ初防衛に失敗、王座から陥落したとともに家住の暫定王座を吸収できず王座統一に失敗した[3]。