喜多村政信 From Wikipedia, the free encyclopedia 喜多村 政信 (きたむら まさのぶ、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。通称、三右衛門。 摂津国の土豪・喜多村秀政の息子として誕生。 父・秀政は細川家の家臣だったが理由[1]があって致仕し、摂津の野里村に住み郷士となる。 政信は松永久秀を烏帽子親として成人した。 1614年、大坂冬の陣が起こる直前に豊臣秀頼に召され、中島・佃・大和田・加島など、大坂の住民を率いて参戦する。政信は片桐且元の部将・牧野治右衛門と槍を合わせ首を取り、その他にも首級23を得た。また、池田利隆軍を撃破するなど活躍し秀頼から褒美を与えられた。 夏の陣の天王寺・岡山の戦いでは大坂城の青屋口を守っていたが豊臣軍が敗れると、阿波国に逃れる。しかし陣後の残党の追尾が激しく、松平忠明に自首した。 幕府は政信を大坂の鎮撫に必要だと判断し『秀頼の領民が忠誠を尽くすのは当然』という理由をつけて釈放した。その後の動向は不明。 脚注 ↑ 細川氏の被官・三好長慶の台頭から離れたと考えられる[誰によって?]。 参考資料 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2021年8月) 三善貞司(編)『大阪人物辞典』文堂出版、2000年 『難波戦記』[要文献特定詳細情報] この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles