Wikiwand AI

嘉陽宗嗣

From Wikipedia, the free encyclopedia

本名 嘉陽 宗嗣
通称 ファイティングシーサー
国籍 日本の旗 日本
嘉陽 宗嗣
基本情報
本名 嘉陽 宗嗣
通称 ファイティングシーサー
階級 ライトフライ級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1982-11-16) 1982年11月16日(43歳)
出身地 沖縄県国頭郡今帰仁村
スタイル 左ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 25
勝ち 19
KO勝ち 9
敗け 3
引き分け 3
テンプレートを表示

嘉陽 宗嗣(かよう むねつぐ、1982年11月16日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県国頭郡今帰仁村出身。第31代日本ライトフライ級王者。第26代OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者。白井・具志堅スポーツジム所属。身長163cm。左ボクサーファイター。沖縄尚学高校卒業。トレーナーは野木丈司。

3歳上の従兄に興南高校出身で帝拳ジムにてミニマム級中堅選手だった宮城誠。宮城の影響で幼い頃からボクシングに親しみ沖縄尚学高校で金城真吉監督の指導の下アマチュアボクシングの実績を積み、卒業後、同じく沖縄出身の世界王者具志堅用高の営む白井・具志堅スポーツジムに入門。

2001年4月23日、プロデビュー戦に4R負傷判定勝利を収めた。

2005年2月14日、11連勝でOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者山口真吾に挑戦。12R判定負けで初黒星となった。

2005年12月12日、山口を倒し初防衛戦となるOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者升田貴久に挑戦し、12R判定勝ちで王座を獲得した。

2006年6月12日、ファーカノン・シンドンタイ(タイ)を2RKOで下し、初防衛に成功。この防衛戦の前日計量では、挑戦者ファーカノン・シンドンタイが体重超過により失格となっており、嘉陽勝利ならば王座防衛、挑戦者勝利となれば王座は空位となるところであった[1]。同王座を世界挑戦のため7月に返上した。

2006年10月9日後楽園ホールで開催のダイヤモンドグローブ、フジテレビや三迫プロモーション代表三迫仁志の協力仰ぎWBC世界ライトフライ級暫定王者ワンディー・シンワンチャーに挑戦したが、12R判定負けで戴冠はならなかった[2]。この試合では、ワンディーが前日計量をクリアできなかった段階で王座剥奪となっており、嘉陽が王座獲得に失敗した為、暫定王座は空位となった[3]。

2007年4月15日、日本ライトフライ級王者増田信晃に挑戦。2Rにダウンを奪い、その後も王者を攻め立てて3-0の判定勝利で同王座を獲得した。

2007年8月13日、大神淳二と対戦し10R判定勝利で初防衛に成功。この試合後、両手親指の付け根に骨折が発覚。そのため12月10日に予定されていた須田拓弥との防衛戦は流れた。

2008年2月11日、國重隆(WBC世界ライトフライ級10位)との2度目の防衛戦。偶然のバッティングで右目上を負傷し、5R負傷引分で防衛に成功した。

2008年6月9日、怪我のため対戦が流れたことのある日本同級8位の須田拓弥を後楽園ホールで迎えて3度目の防衛戦。1-1の6R負傷引分で防衛に成功も2戦連続負傷引分となった。

2008年11月30日、沖縄コンベンションセンターでの凱旋試合となった4度目の防衛戦は、日本同級1位の家住勝彦を迎えて行われた。13連勝中の家住を4RTKOで下して故郷に錦を飾り、世界再挑戦への意気込みも語った[4]。

2009年4月13日、WBA11位、WBC5位として、WBC11位國重隆を迎えての5度目の防衛戦は、2度目の防衛戦で引き分けて以来の決着戦でもあったが、嘉陽は初回に左目上、3Rに右目上を偶然のバッティングでカット、前回対戦時と同様にもみ合う展開での流血戦となった。8R終盤、5度目のドクターチェック後に試合がストップされ、負傷判定は三者三様の引分となって王座を守った。試合後には具志堅会長が世界再挑戦の標的としてWBC世界同級王座を8度防衛中のエドガル・ソーサの存在を示唆した。

2009年10月12日、6位の宮崎亮(井岡)を迎えて6度目の防衛戦。偶然のバッティングによる右目上のカットで10R1分13秒に試合が止められ、0-3(94-97、94-98、94-99)の負傷判定負けを喫して王座を失った。

戦績

  • アマチュアボクシング:45戦36勝(16KO・RSC)9敗
  • プロボクシング:25戦19勝(9KO)3敗3分
戦 日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
12001年4月23日勝利4R負傷中村元彦日本の旗 日本
(陽光アダチ)
プロデビュー戦
22001年7月24日勝利4R判定山本太日本の旗 日本
(とよはしS)
32001年10月23日勝利6R判定永島克明日本の旗 日本
(西遠)
42002年2月25日勝利2R 2:11TKO水野正博日本の旗 日本
(沼津石川)
52002年5月20日勝利8R判定3-0水野貴彦日本の旗 日本
(クラトキ)
62002年10月12日勝利6R 0:51TKOアンドリ・ブラストオインドネシアの旗 インドネシア
72003年1月20日勝利6R 0:43KOサクナロン・ソーウォラピンタイ王国の旗 タイ
82003年8月18日勝利8R判定3-0ファーカノン・シンドンタイタイ王国の旗 タイ
92003年12月18日勝利3R 1:55KOサムヨット・ウォルソラポンタイ王国の旗 タイ
102004年5月17日勝利6R 2:40KO後藤泰明日本の旗 日本
(ワタナベ)
112004年9月7日勝利2R 1:26KOトロン・ウィンディスポータイ王国の旗 タイ
122005年2月14日敗北12R判定1-2山口真吾日本の旗 日本
(渡嘉敷)
OPBF東洋太平洋ライトフライ級タイトルマッチ
132005年7月14日勝利3R 3:08KOサミン・ツインズジムタイ王国の旗 タイ
142005年12月12日勝利12R判定3-0升田貴久日本の旗 日本
(三迫)
OPBF東洋太平洋ライトフライ級タイトルマッチ
152006年6月12日勝利2R 1:14KOファーカノン・シンドンタイタイ王国の旗 タイOPBF防衛1/返上
162006年10月9日敗北12R判定0-3ワンディー・シンワンチャータイ王国の旗 タイWBC世界ライトフライ級暫定タイトルマッチ
172007年4月15日勝利10R判定3-0増田信晃日本の旗 日本
(駿河)
日本ライトフライ級タイトルマッチ
182007年8月13日勝利10R判定3-0大神淳二日本の旗 日本
(関)
日本王座防衛1
192008年2月11日引分5R負傷0-0國重隆日本の旗 日本
(大阪帝拳)
日本王座防衛2
202008年6月9日引分6R負傷1-1須田拓弥日本の旗 日本
(沼田)
日本王座防衛3
212008年11月30日勝利4R 2:49TKO家住勝彦日本の旗 日本(レイスポーツ)日本王座防衛4
222009年4月13日引分8R負傷1-1國重隆日本の旗 日本
(大阪帝拳)
日本王座防衛5
232009年10月12日敗北10R負傷0-3宮崎亮日本の旗 日本
(井岡)
日本王座陥落
242011年3月7日勝利8R判定3-0Denratapum Chopraramhokタイ王国の旗 タイ
252011年9月26日勝利10R判定3-0Roque Lauroフィリピンの旗 フィリピン
テンプレート

獲得タイトル

  • 第26代OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座(防衛1=返上)
  • 第31代日本ライトフライ級王座(防衛5)

エピソード

  • 小学校から中学校時代まで野球をしていた。小学校では、『今帰仁ジュニア』に所属し、沖縄県で3位になった。
  • 内藤大助と地元沖縄・今帰仁村にて共にキャンプを行ったこともある。
  • 2006年の世界初挑戦の際、具志堅会長は世界タイトルを獲得した暁には石垣市にある具志堅用高記念館に「嘉陽宗嗣コーナー」を設けると約束した[5]。

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks