四国平定
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概要
1585年に伊予国の河野通直を降伏させ、四国をほぼ統一した長宗我部元親と、天下人となりつつあった豊臣秀吉(羽柴秀吉)の対立は深刻なものとなっていた。小牧・長久手の戦いの後の徳川家康と元親の接近もあり、事態は悪化していた。
元親は秀吉に伊予一国を割譲して和睦しようと考えたが、秀吉はこれを拒否した。変わって秀吉は元親に降伏を勧告するも拒否されたため、長宗我部氏討伐・四国征伐を決意した。まずは弟の豊臣秀長の軍を淡路島経由で阿波方面から、毛利氏傘下の小早川隆景・吉川元長の軍を伊予から、宇喜多秀家の軍を讃岐から、それぞれ侵攻させた。またこの際、長宗我部氏によって四国を追われた三好氏の残党なども秀吉軍に協力した。
経過
結果
参考文献
- 歴史学研究会 編『日本史年表』岩波書店。
- 新人物往来社 編『小早川隆景のすべて』新人物往来社、1997年。
