図司安正
日本の政治家 (1905-1990)
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経歴
1905年(明治38年) 、埼玉県松山町に生まれる[2][注釈 1]。法政大学専門部法律科に学び、高等文官試験に合格して、山形県新庄市の雪害調査所に農林省嘱託として勤務[2][3]。その後、同調査所の設置に関わった衆議院議員松岡俊三の秘書として政界に入る[2]。また、日中戦争期には最上郡における満洲移民運動の中心となった[4]。
1946年(昭和21年)、公職追放を受けた松岡俊三の代理として、第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から立候補し、初当選(以後3期連続当選)[2]。1950年(昭和25年)3月、第3次吉田内閣で電気通信政務次官に就任。
1990年(平成2年)5月12日死去。84歳没。同月29日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で正五位に叙された[1]。
