国分淡路守

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国分 淡路守(こくぶん あわじのかみ、生没年不明)は、日本の南北朝時代陸奥国宮城郡国分寺郷にいた武士である。官名として淡路守を称したが、実の名は不明。陸奥国の国分氏の中で、同時代史料で確認可能な最初の人物である。1353年には国分寺郷を領地としていたが、1363年に少なくともその半分を取り上げられた。

国分淡路守の存在は後述の2史料によって確実だが、江戸時代に作られた国分氏の系図に淡路守を名乗った人物は見当たらない。国分氏の出自については、系図が示す平姓千葉氏系は誤りで、藤原姓長沼氏の出ではないかとする説がある。系図にない淡路守の存在と、長沼氏が何代か淡路守になっていた事実は、長沼氏説の傍証である[1]。しかし、国分淡路守が国分氏の傍系であるために系図に現れないという可能性も捨てきれない[2]

活動

脚注

参考文献

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