国分氏の系図として江戸時代に佐久間義和が編纂した「平姓国分系図」に胤実が見える[1]。それによれば、胤実は国分盛綱の子で彦五郎といい、従五位下弾正忠兼美濃守を称した。長禄2年(1458年)に国分に生まれ、妻は留守郡宗の女。一男二女がいて、長女を国分宗政の妻とした。一男とは国分彦次郎政清であるらしく、永正13年(1516年)7月4日に父に先立って13歳で亡くなった。胤実は父の盛綱が死んだ翌年、大永3年(1523年)5月1日に没した。これに従えば、胤実は父の死後すぐに亡くなったせいで格別の事績なく、婿養子の宗政が後を継いだことになる。
他方、古内氏が所蔵していた「平姓国分系図」には胤実の名はなく、宗政の前代には国分常政がいて永正8年(1511年)に55歳で死んだとする。康正3年・長禄元年(1457年)生まれと計算できる。[2]。
しかし、仙台市の諏訪神社にあった棟札からは、宗政の前に国分広政という人物がいたようである[3]。佐久間編の系図は日付まで記された宗政の没年に誤りがあり、詳しさと真実性の間に乖離がある。胤実も系図作者か彼の参考資料の産物かもしれない。