国東市立安岐中学校
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| 国東市立安岐中学校 | |
|---|---|
北緯33度27分49.8秒 東経131度41分41.0秒 / 北緯33.463833度 東経131.694722度座標: 北緯33度27分49.8秒 東経131度41分41.0秒 / 北緯33.463833度 東経131.694722度 | |
| 過去の名称 | 安岐町立安岐中学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 国東市 |
| 併合学校 |
安岐町立安岐中学校(初代) 安岐町立朝来中学校 安岐町立西安岐中学校 安岐町立西武蔵中学校 |
| 校訓 | 自主・真理・協力・礼儀 |
| 設立年月日 |
【前身(初代)の創立】 1947年(昭和22年)4月 【統合(二代目)】 1974年(昭和49年)4月1日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 所在地 |
〒873-0203 大分県国東市安岐町中園408番地 |
| 外部リンク | 公式サイト |
沿革
- 旧・安岐中学校(初代)[2]
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校「安岐町立安岐中学校」(初代)が創立。当初、安岐町立安岐小学校から北校舎8教室を借用。在籍生徒数191名。
- 1948年(昭和23年)- PTAが発足。
- 1949年(昭和24年)12月 - 運動場が完成。
- 1950年(昭和25年)4月1日
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 統合が解消され「安岐町立安岐中学校」(再)として独立。
- 1953年(昭和28年)3月 - 柔道場が完成。
- 1954年(昭和29年)1月 - 新校舎が完成。
- 1958年(昭和33年)- 校歌を制定。
- 1959年(昭和34年)3月 - 火災に見舞われる。応援歌を制定。
- 1960年(昭和35年)1月 - 新校舎が完成。
- 1962年(昭和37年)- 技術教室が完成。
- 1964年(昭和39年)5月 - 体育館が完成。
- 1967年(昭和42年)- 生乳給食を実施。
- 1970年(昭和45年)- 給食センターが発足。特殊学級を新設。
- 1974年(昭和49年)
- 3月26日 - 閉校式を挙行。安岐中学校の跡碑を建立(タイムカプセルを碑下に収蔵)。最終年度の生徒数213名。
- 3月31日 - 統合により閉校。
- 最終所在地(初代・安岐中学校)- 大分県東国東郡安岐町下原1298番地(北緯33度28分06.8秒 東経131度43分13.3秒 / 北緯33.468556度 東経131.720361度)
- 校歌 - 作詞・作曲ともに不明。歌詞は2番まであり、両番に校名の「安岐中学」が登場する。
- 跡地 - 国東市民病院の敷地となっている。
- 旧・南安岐中学校(みなみあき)- 西安岐中学校に統合。[3]
- 1947年(昭和22年)4月
- 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校「南安岐村立南安岐中学校」が創立。南安岐村立南安岐小学校に併設される。
- 1949年(昭和24年)- 校舎を増築。
- 1950年(昭和25年)4月1日
- 2町1村(安岐町・西安岐町・南安岐村)の組合が組織され、中学校3校が統合。「安岐町外二町村中学校組合立 安岐中学校」となる。
- 1951年(昭和26年)
- 1月 - 閉校式を挙行。
- 2月6日 - 安岐町との組合が解消され、「西安岐町南安岐村中学校組合立 西安岐中学校」となる。
- 最終所在地(南安岐中学校)- 大分県国東市安岐町下山口593番地(北緯33度27分26.2秒 東経131度41分04.3秒 / 北緯33.457278度 東経131.684528度)
- 旧・西安岐中学校(にしあき)[3]
- 1947年(昭和22年)4月
- 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校「西安岐町立西安岐中学校」が創立。西安岐町立西安岐小学校に併設される。
- 1949年(昭和24年)- 校舎を増築。
- 1950年(昭和25年)4月1日
- 2町1村(安岐町・西安岐町・南安岐村)の組合が組織され、中学校3校が統合。「安岐町外二町村中学校組合立 安岐中学校」となる。
- 1951年(昭和26年)
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により「安岐町立西安岐中学校」(最終名)に改称。
- 1957年(昭和32年)4月 - 体育館が完成。
- 1958年(昭和33年)7月 - 校庭を東側に拡張。
- 1960年(昭和35年)3月 - 校舎(2教室)を増築。
- 1961年(昭和36年)6月 - 校舎(3教室)を増築。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 統合により閉校。
- 最終所在地(西安岐中学校)- 大分県東国東郡安岐町瀬戸田1058番地(北緯33度28分24.4秒 東経131度41分07.3秒 / 北緯33.473444度 東経131.685361度)
- 校歌 - 作詞は松本義一、作曲は辛島武雄による。歌詞は4番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
- 跡地 - 2023年(令和5年)時点で木造校舎は残されている。運動場跡には「老人保健施設ウェルハウスしらさぎ」が建てられている。
- 旧・朝来中学校(あさく)[4]
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1952年(昭和27年)7月 - 新校舎が完成。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により「安岐町立朝来中学校」(最終名)となる。
- 1961年(昭和36年)6月 - 講堂兼音楽室・家庭科教室・技術科教室が完成。
- 1963年(昭和38年)11月 - ミルク給食を実施。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 統合により閉校。
- 最終所在地(朝来中学校)- 大分県東国東郡安岐町瀬戸田1058番地(北緯33度30分33.4秒 東経131度37分00.0秒 / 北緯33.509278度 東経131.616667度)
- 旧・西武蔵中学校(にしむさし)[5]
- 1947年(昭和22年)
- 4月23日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校「西武蔵村立西武蔵中学校」が開校。
- 11月 - 新築中の校舎が突風のために倒壊。
- 1948年(昭和23年)
- 5月17日 - PTAが発足。
- 5月29日 - 新校舎が完成。
- 6月 - 移転を完了。
- 1950年(昭和25年)8月 - 運動場を拡張。
- 1953年(昭和28年)7月17日 - 校旗および校歌を制定。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により「安岐町立西武蔵中学校」(最終名)に改称。
- 1957年(昭和32年)1月 - 西武蔵地区僻地集会室(講堂)が完成。
- 1974年(昭和49年)
- 3月26日 - 西武蔵中学校跡の碑を建立。
- 3月31日 - 統合により閉校。
- 最終所在地(西武蔵中学校)- 大分県東国東郡安岐町豊清2441番地(北緯33度31分29.2秒 東経131度37分32.7秒 / 北緯33.524778度 東経131.625750度)
- 統合・安岐中学校(二代目・現在)
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 安岐町立中学校4校(安岐(初代)・西安岐・朝来・西武蔵)が統合し「安岐町立安岐中学校」(二代目・現在)が開校。統合校舎が完成するまでの間、旧4校舎の使用を継続し、分散授業を行う。
- 1975年(昭和50年)- 統合校舎が完成し、全生徒を収容。旧4校舎を廃止。
- 1998年(平成10年)- 体育館を改修。
- 2006年(平成18年)
- 2月 - 新校舎が完成。
- 3月31日 - 町村合併により「国東市立安岐中学校」(現校名)に改称。
- 2023年(令和5年)4月 - 制服を改定。
- 所在地(現・安岐中学校)- 大分県国東市安岐町中園408番地(北緯33度27分49.8秒 東経131度41分41.0秒 / 北緯33.463833度 東経131.694722度)
交通アクセス
周辺
- 国東市立安岐中央小学校
- 国東市立安岐中央幼稚園
- 国東市安岐学校給食共同調理場
- 荒木川・西本橋
- コミュニティ広場
- 国東市役所安岐総合支所(旧:安岐町役場)
