園国子
江戸時代前期の女性。後水尾天皇の典侍・後宮。准三宮
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生涯
28歳上の後水尾院に後宮として出仕し、寵愛を受けた。その後典侍となり、従三位に叙せられた。4皇子2皇女を産み、末子が霊元天皇となる。延宝5年(1677年)7月5日、国子が危篤となるに及んで霊元天皇は急遽これを准三宮に叙し院号を宣下して新広義門院とした。しかし同日中に薨去している。京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある月輪陵に墓がある。
国子の存在は出身家である園家に大きな栄華をもたらし、彼女の父である園基音には左大臣が追贈され、兄の園基福には異例の准大臣の位が与えられた。もともと園家は権中納言を極官とする下級公家だったが、これ以降の園家当主は早世した者を除き、全員が権大納言となっており、羽林家一の名門家となった。
脚注
- 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年、p. 566