土井聱牙
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津の西町に津藩の儒官であった土井弘(号は橘窓)の次子として生まれた。文政10年(1827年)、兄長裕が早逝したことにより、家禄190石を継いだ。文政11年(1828年)3月、藩主藤堂高猷の命により川村竹坡の門に入った[1]。
文書を斎藤拙堂、経学を石川竹厓に学び、津藩の藩校有造館の助教・講官をつとめた[1][2]。「資治通鑑(有造館本)」の校訂出版に責任者として貢献し、嘉永元年(1848年)には藩主の侍読、明治2年(1869年)には有造館督学となった[1]。
明治元年(1868年)、明治政府から任官の依頼があったが、病を理由に辞退している[1]。
明治13年(1880年)没。