土屋ジョー
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沼津東高等学校、東海大学を卒業。高校在学時に極真空手を経験し幾つかの大会で入賞。大学在学時は体育会キックボクシング部に所属し、主将も務めた。在学時に谷山ジムへ入門。
1998年1月30日 - アントニー・エルカイム(フランス / 同級1位)とのWKA世界ムエタイバンタム級王座決定戦で1R0:45 KO勝ちし、王座を獲得。タイトルを奪取後、オレンジ色のベンツの側面にキックボクサーと文字を入れ、笑いを誘う。
1998年9月19日 - 全日本キックとMA日本キックの合同大会でMA日本バンタム級王者のラビット関と対戦。殺気を漂わせた攻撃スタイルで関を圧倒し、5R判定勝ちする。
1998年11月14日 - シュートボクシング「GROUND ZERO」でランバー・ソムデートM16と対戦。1R目にスタンディングダウンを奪われると、右フックをもらい再びダウンしKO負けを喫した。
2000年3月20日 - 「COMBAT-2000」で行われたWMAF世界スーパーバンタム級王座決定戦でダニエル・ヤマキ(フランス / 同級2位)と対戦。5R判定2-0で下し王座獲得。
2000年5月26日 - 「第3回梶原一騎杯キックガッツ2000 COMBAT-2000」に参戦。55kg級トーナメント準決勝でラビット関(MA日本スーパーバンタム級王者)と再戦。延長判定1-2で敗れ敗退した。この試合後、ボクシングに転向を表明。松島二郎の紹介で大橋スポーツジムでトレーニングし、8月1日のプロテストを受け、合格した[1]。
2002年10月27日 - 対戦相手が2度キャンセルしたことで、試合が中止となる。最初に予定されていたビリー・ザ・キッド(IKKCアメリカバンタム級王者)が18日に背中を痛め来日不可能となり、さらに変更された相手のHAWK(アメリカ)もスタッフと共に失踪したため、グライガンワーン(タイ)との2分2Rのエキシビションマッチを披露するに留まった。
2003年4月1日 - 東京の板橋区立産文ホールで「JOE TSUCHIYA PRESENTS -REINCARNATION-」を開催。ハンマーシャーク・カイル・タカオ(アメリカ)と対戦。1R2:21KO勝ち。膝蹴りで最初のダウンを奪うと、パンチで2度目、ローキックで3度目のダウンを奪った。
2003年6月13日 - アメリカオクラホマ州タルサ市のグリーンウッドセンターで行われたデル・クック主催の興行で、アレックス・アーネルとUKF世界スーパーバンタム級王座決定戦を行い、1RKO勝ちで王座を奪取した。
2004年9月19日 - UKF世界フェザー級王者決定戦でジョセフ・アーナル(アメリカ / 同級1位)と対戦。1R0分52秒KO(3ダウン)勝ちし新王者になる。
選手としての特徴
黒のサングラスに赤いバラをくわえて入場していた。
戦績
- アマチュアキックボクシング:不明
- プロキックボクシング:38戦 27勝 21KO 9敗 1分 1無効試合
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1994年11月26日 | 勝利 | 1R | KO | 根本宏二 | 日本 | プロデビュー |
| ? | 1998年9月19日 | 勝利 | 5R | 判定 | ラビット関 | 日本 | - |
| ? | 2003年4月1日 | 勝利 | 1R2:21 | KO | ハンマーシャーク・カイル・タカオ | 日本 | キックボクシング復帰第1戦 |
| ? | 2004年9月20日 | 勝利 | 1R0:52 | KO | ジョセフ・アーナル | アメリカ | UKF世界フェザー級タイトルマッチ |
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- プロボクシング:4戦 2勝 2敗
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2000年10月19日 | 勝利 | 6R | 判定 | 管野大輔 | 日本 | プロボクシングデビュー戦 |
| 2 | 2001年2月2日 | 負 | 2R | KO | 草壁岳也 | 日本 | - |
| 3 | 2001年8月27日 | 勝利 | 6R | 判定 | 佐藤昭 | 日本 | - |
| 4 | 2001年12月4日 | 負 | 1R2:22 | KO | アルチャ・ネイションマン | タイ | - |
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