弘化3年(1846年)、土佐国(現・高知県)高知城下永国寺町に生まれる。祖父江氏を称したが、明治維新後に土屋姓へ改めた。
戊辰戦争では、片岡健吉とともに迅衝隊を率い、半大隊司令として会津征討に従軍。江戸から四個小隊を率いて先発し、安塚・壬生で初めて幕府軍と交戦し、連戦連勝。日光にて土佐諸軍隊と合流し、会津方面で戦功を挙げた。特に母成峠の戦いでは、猪苗代・猿岩方面に進撃し、峠を突破して奇襲を成功させた戦功が知られている。また板垣退助を助けた功績あり。
明治4年(1871年)、西郷隆盛・木戸孝允・板垣退助が会見して近衛兵を設置した際、土屋は陸軍少佐に任じられた。その後、各鎮台の参謀長を歴任し、明治23年(1890年)に陸軍少将となった。
明治27年(1894年)の日清戦争では留守歩兵第九旅団長として従軍し、戦功により勲二等瑞宝章を授与された。
退役後は大阪府豊能郡中村(現・大阪府豊能町)の自邸に隠棲し、悠々自適の生活を送った。刀剣の鑑定に通じ、「神刀」に関する権威として名を馳せ、刀剣界の第一人者とされた。高知刀剣会会長を務め、晩年まで多くの刀剣研究者から尊敬を受けた。
昭和5年(1930年)2月1日、大阪府豊能郡中村の自邸で死去。享年85。