土平飴売り
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土平飴は明和年間のころに評判となった。50歳くらいの男性で、「ドヘ、ドへ」(土平、土平)と自分の名前を連呼して飴を売り歩いた。紅絹裏の幕を張り巡らせた日傘を片手に持ち、浅黄木綿の頭巾をかぶって、木綿の袖なしの羽織を着ていた。羽織は虎縞に染められ、羽織の下の着物に「土平 土平」と書いてあった[注釈 1][1]。
飴を買ってもらうと、自分の姿を描いた摺物を配り、次のような唄をうたった。
土平のあたまに蠅が三疋とまった。ただもとまれじ、雪駄はいてとまった。どへえどへえ、土平というたら、なぜ腹たちやる。土平も若い時色男。土平土平土平
もし姉さんきかんしたか、ばんの夜食にうどんは嫌よ、わしはおまえのそばがよい、さんしょのせ、どうへどうへ(土平、土平)
『浮世くらべ』では、
土平がむすめにはほれまいもんのはナァ、猫か鼠か御稲様かただしは御寺の御小ぞうさん、さんしよのせい土平土平土平
と書かれており、『廿三番狂歌合附録』には
いィいィいィ、いんたらのいんたらの、仙台の仙台の、大橋普請のあるときに、鼠を三匹とらまへて、月代そつて髪ゆふて、餅売りに出したれば、隣の猫めがゐぢわるで、重箱ぐるみしてやつた、二度とだますまい餅売りに、さんしよのせ土平土平、まうし姉さんうどんはいやよ、わたしやお前のそばがよい、さんしよのせ土平、土平
とある。このほか、『半日閑話』、『呼子鳥』、『続飛鳥川』、『明和誌』、『盲文画話』などにも土平飴売りとその歌に関する記事があり[2]、昭和10年4月に杵屋栄蔵が作曲した「飴賣土平」の歌もある[注釈 2]。