土御門内裏
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土御門内裏(つちみかどのだいり)は、平安時代の後期、平安京左京1条3坊9町にあった里内裏。鳥羽天皇から3代の天皇の里内裏として用いられた。土御門烏丸殿(つちみかどからすまどの)、土御門室町殿(つちみかどむろまちどの)とも。現在の京都市上京区鷹司町付近にあたる。
元は源師時の邸宅だったが、治天の君白河院の近臣であった蔵人頭藤原顕隆の提案で新たな里内裏として改築が行われた。その際に「屋舎如大内」[1]、すなわち内裏[注釈 1]を模倣して造成され、配置や建物の名称も内裏のものをそのまま採用した。
永久5年(1117年)11月10日、鳥羽天皇が初めてこの里内裏に入り、保安4年(1123年)にここで崇徳天皇へ譲位した後もそのまま里内裏として用いられた。保延4年(1138年)11月24日に火災で焼失。再建されて、2年後の保延6年11月より再び里内裏となり、永治1年(1141年)にはここで崇徳天皇から弟宮の近衛天皇への譲位が行われた。その後も近衛天皇の里内裏だったが、久安4年(1148年)6月26日に再度焼失した。仁平2年(1152年)頃から再建が開始されたが、途中で暴風雨による災害、近衛天皇の崩御、保元の乱などによって中止と再開を繰り返した。乱後に治天の地位を確立した後白河天皇は久しく再建されていなかった内裏の再建を打ちだし、土御門の里内裏の再建の方は結局中止となり、やがて廃止された。