土持親成

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生誕 不明
死没 天正6年(1578年)4月
別名 麟松軒
 
土持 親成
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正6年(1578年)4月
別名 麟松軒
官位 右馬頭
氏族 県土持氏
父母 父:土持親佐(親用?)
佐伯惟教
親信、直綱?、為綱?、栄武?
養子:久綱
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土持 親成(つちもち ちかしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将日向国北部の国人領主。県土持氏最後の当主。居城は松尾城[1]

大友家の資料では、「土持累代当主中でも親成は智勇兼備の良将であり、県土持氏の最盛期を築いた」と残されている[要出典]

県土持氏は、日向国北部(あがた)を中心に栄えた平安時代よりの名門である。室町時代では日向守護職を兼務していた薩摩国島津氏と連携して勢力を保ってきた。しかし、水島の変を機に九州探題今川了俊の命により日向伊東氏と共に島津討伐を行うことになり、島津氏との連携は断たれた。その後、事実上、日向守護職が空位になると、土持氏はその座をめぐって伊東氏と争うも、結果的に敗北し所領のかなりの部分[2]を失った。以後、失領の回復が県土持氏の宿願となり、親成もその例に漏れなかった。

親成は当初、島津氏とは距離を置き、伊東氏と戦う上で後背となる豊後国大友宗麟に対して娘を人質に出すなど大友氏に臣従した(旧記雑録後編十)。しかし、伊東氏の衰退に伴う島津氏の日向への本格的進出や、大友家中の混乱[3]に加え、県土持氏が宇佐八幡宮神官を出自とすることもあり、親島津・反大友に傾斜していく。

大友宗麟の日向攻めと県土持氏の滅亡

系譜

脚注

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