大阪府出身[3]。大阪府立堺工業学校(現・大阪府立堺工科高等学校)卒業[3]。卒業後大学には進学せず、中河内郡松原町(現・松原市)役場に入り、総務、企画財政の各部長を経て[3]、1974年(昭和49年)松原市長に当選する[3]。
市長就任後に市の木(マツ)、市の花(バラ)を制定[4]。ほか学校施設の充実、都市基盤の整備、福祉の向上や産業の振興などに努めた[4]。その後は市民に対するサービスや市民の安全の確保、生活関連施設の整備など、地域の実情に即した施策を促進した[4]。
市長を7期務め、2001年(平成21年)に任期途中で退任した。2002年2月死去。死没日付をもって叙正五位、勲三等瑞宝章受章[2]。