住居跡が5軒検出されているが、地山の青色粘土が自然にか人為的にか崩壊しており、詳細は不明である。また、発掘区域が限られているため、全貌は明らかでない。
出土する土器は弥生中期のものである。本遺跡は地下水位の高いところに位置するため、木製品、植物種子などの有機物が豊富に出土している。木製品としては鍬(二叉鍬2点と三叉鍬1点)などの農耕具、刳物の容器4点、黒漆塗の椀1点などがある。植物性の遺物としては、炭化米、ウメ・モモ・ウリの種子などがある[2]。
木製の遺物で注目されるのは、住居跡で出土した柱材15点である。地山の青色粘土に掘立柱として立てたものであるが、その立て方に2種類あることがわかった。その1は柱の根元を平坦に仕上げ、そのまま立てるもの。もう一つは、柱の根元が伐採時のままの状態になっているもので、この場合は柱穴に草やワラを敷き、さらに厚さ2センチほどの板(礎板)を置いた上に柱を立てる。柱の下面に2つの穴(内部でつながっている)を開けるものがあり、これは「えつり穴」(運搬時に縄を掛ける)とみられる[2]。