坂上貞守
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承和元年(834年)右馬助、承和5年(838年)左馬助に任ぜられる。承和11年(844年)12月父・鷹主の喪に服するために官職を辞すが、翌年3月本官に復す。承和14年(847年)従五位下に叙爵され、嘉祥3年(850年)但馬介に任ぜられる。
同年仁明天皇の崩御後まもなく左近衛少将に任官する。文徳朝では左近衛少将を務める傍らで、越前介・美濃権介・丹波権介・丹波介と地方官も兼務した。またこの間、仁寿3年(853年)には従五位上に昇叙している。天安2年(858年)右馬頭次いで丹波介に転任し、同年8月の文徳天皇崩御にあたっては固近江関使を務めた。
清和朝では丹波権守・美濃権守・美濃守・丹波守と専ら地方官を務めたが、国政を部下に委ね良い評判はなかったという[1]。貞観18年(876年)9月9日卒去。享年72。最終官位は前丹波守従五位上。