藤原頼遠
日本の武将
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経歴
『尊卑分脈』には、頼遠は「下総住人・五郎太大夫」と書かれている[2]。その後、陸奥国に下向するがその理由は不明である[2]。なお、頼遠が住んでいた下総国(現在の千葉県北部および茨城県南部)を含む房総を中心に起こった、長元元年(1028年)からの平忠常の乱に関連した可能性も考えられる[2]。
『続群書類従』坂上系図によると、陸奥権少掾である坂上藤原頼遠は、藤原秀郷の孫である祖父・藤原千清の養子になったという[2]。
奥州藤原氏初代・清衡の父である経清は頼遠の長男である。また、『康富記』文安元年(1444年)閏6月23日条に見える、前九年の役において安倍氏軍の将として戦死を遂げた藤原重光や、後三年の役の金沢柵合戦において源義家軍の将として名が見える藤原重宗は、頼遠の孫(頼遠の子と目される重久の子)とされる[1]。