坂井大輔
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福岡県福岡市出身。福岡県立中学修猷館を経て、早稲田大学高等師範部へ[5]。1909年10月31日、初段で講道館柔道秋の紅白勝負に出場し2人勝ち抜く[6]。11月までに二段となる[5]。1913年(大正2年)に早稲田大学専門部政経科を卒業[7]。その後、ワシントン大学で政治問題・社会問題を研究し、アメリカ合衆国西北部日本人専任幹事を務めた[3]。また、シアトル道場を経営した[8]。師範代にはのちに経営を引き継ぎ、アド・サンテルと引き分けた柔道家の太田節三がいた[9]。
1916年2月5日、カリフォルニア州サンフランシスコで[10]柔道五段の伊藤徳五郎がプロレスラーのアド・サンテルに柔道ルールで敗北。再戦を前に坂井が、また伊藤が負けたら復讐戦にいく、と明言[11]。しかし、再戦は伊藤が勝利した。
1917年2月22日、ワシントン州シアトルで三宅タローに勝利したアド・サンテルはレフェリーをしていた坂井に挑戦状を送る。坂井は挑戦を受けシアトルで対戦して敗れる。『柔道』誌での吉田興山らは、この時、坂井は四段だとしている[11][12][13]。一方、坂井本人は早稲田大学に入って2年で五段になったとしている[14]。1913年に卒業している[7]。
1919年(大正8年)、渡欧してパリ講和会議を視察した。帰国後、外務省嘱託となり、1921年(大正10年)からは福岡日日新聞通信員を務めた[3]。ワシントン会議では加藤友三郎全権代表の随員を務めた[3]。
1924年(大正13年)、衆議院補欠選挙に出馬し、当選を果たした[15]。その後、第15回衆議院議員総選挙から第18回衆議院議員総選挙まで連続当選を果たした。この間、1927年(昭和2年)には、議会乱闘事件に関与したとして公務執行妨害、傷害の容疑で起訴。同年12月16日に懲役三か月、執行猶予1年の判決を受ける[16]。 この後、1931年(昭和6年)に発足した犬養内閣では逓信参与官を務めた。
脚注
- ↑ 衆議院『第61回帝国議会衆議院議員名簿』、1932年。
- ↑ 『官報』第1612号、昭和7年5月18日。
- 1 2 3 4 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年11月6日、528頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920835/272。
- ↑ 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2010年、玄洋社社員名簿36頁。
- 1 2 「早稲田大学第拾四回柔道大会」『運動世界 12月號』通巻19号、運動世界社、1909年12月1日、56頁。「二段 坂井大輔(高師)」
- ↑ 「講道館柔道秋の紅白勝負」『運動世界 12月號』通巻19号、運動世界社、1909年12月1日、55頁。
- 1 2 猪野三郎 編「サ之部」『大衆人事録』(第三版)帝国秘密探偵社、帝国人事通信社、日本、1930年7月22日、68頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3044845/600。
- ↑ 「ワシントン州シヤトル市」『北米年鑑 付録 在米加実業家同胞一覧』 第9号、北米時事社、日本、1919年3月1日、5頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1906329/110。「大正七年十一月調査」
- ↑ 大館市史編さん委員会 編「大正時代の社会と文化」『大館市史』(第三巻 上)大館市、日本、1983年12月22日、636-637頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9571096/341。
- ↑ 石黒敬七「必殺「双手刈」」『石黒敬七集』駿河台書房、日本〈現代ユーモア文学全集〉、1953年11月20日、212頁。第8回配本。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1644559/111。
- 1 2 吉田興山「梟敵サンテル對坂井三宅敗戰記■三宅決戰に人事不省となり■■坂井大輔四段復讐戰に敗る■」『柔道』第4巻第2号、柔道会本部、1918年2月1日、54-59頁。
- ↑ 佐々木指月「日米他流仕合を観て」『亜米利加夜話』日本評論社出版部、1922年1月10日、211-212頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964382/118。
- ↑ Jordan Breen, Ad-Santel and Catching Our History, Sherdog.com
- ↑ 坂井大輔 著「忘れ難き吾輩の大恩人」、篠崎嘉郎 編『満洲と相生由太郎』福昌公司互敬会、日本、1932年1月3日、1140-1141頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1903192/656。
- ↑ 『官報』第3439号、大正13年2月13日。
- ↑ 暴行十代議士に有罪判決『東京日日新聞』昭和2年12月17日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p240 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
