2019年11月のフェンシング・ワールドカップを最後に第一線から退くことを決め、所属の自衛隊体育学校(朝霞駐屯地)で指導者に転身をし、後進を育成していた[3]。引退試合とされていた2020年全日本選手権にて日本一となり、福岡・久留米の幹部候補生学校へと10カ月間、現場から離れて未修の基本教育を受けていた[3]。 2022年1月末に朝霞駐屯地へ帰任すると、再び近代五種班のコーチとして、部下を教育する日常に戻っていた[3]。その際に「帰ってきたし、また出てみるか。」と気が向いたことをきっかけに現役復帰をした[3]。
2020年の全日本フェンシング選手権大会では8年ぶり4度目の優勝を果たした[3][2]。
2022年9月8日の全日本選手権では、2021年開催東京五輪金メダリストである見延和靖に15-12で勝利し、決勝へと進出したが[4]、決勝戦において同じく同五輪金メダリスト加納虹輝に15-10で敗れた[5][6]。見延は「天才的。日本人が世界で全く勝てない中で唯一、世界と渡り合えていた。」と尊敬の念を見せていた[4]。
2024年9月の全日本選手権では、前月の2024年パリ五輪男子エペ団体で銀メダルを獲得したメンバーの山田優に3回戦で惜敗した[2]。
2014年男子エペワールドカップでの試合