坂東蓑助 (5代目) From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日1865年1月11日没年月日 (1910-09-10) 1910年9月10日(45歳没)本名林鉄三郎襲名歴坂東利喜松 → 五代目 坂東蓑助 ごだいめ ばんどう みのすけ五代目 坂東蓑助 生年月日 1865年1月11日 没年月日 (1910-09-10) 1910年9月10日(45歳没) 本名 林鉄三郎 襲名歴 坂東利喜松 → 五代目 坂東蓑助 出身地 三河国碧海郡池鯉鮒宿 父 十二代目守田勘彌(養父) 表示 五代目 坂東 蓑助(ごだいめ ばんどう みのすけ、1865年1月11日〈元治元年12月14日〉 - 1910年〈明治43年〉9月10日)は、日本の歌舞伎役者。養父は十二代目守田勘彌。 出生 元治元年12月14日(1865年1月11日)[1]、三河国の東海道にある池鯉鮒宿の旅籠、巴屋こと林寅吉[1]の次男として生まれた[2][3]。本名は鉄三郎[2][3]。母は碧海郡東境村の泉正寺の生まれである[2][3]。 歌舞伎役者として 十二代目守田勘彌 理由は定かでないが、母親とともに巴屋を出て旅役者となり、女優の中村仲吉に預けられた[1]。10歳の時に東京に向かい、坂東喜知六を頼って坂東利喜松(りきまつ)と名乗った[1]。新富座で踏んだ初舞台が認められて坂東喜知六の養子となった[1]。 1889年(明治22年)に京都の祇園座がこけら落としを行った際、九代目市川團十郎一座に招かれて出演し、非凡な才能を見せつけた[3]。十二代目守田勘彌に見初められ、25歳の時に[1]五代目坂東蓑助を襲名した[2][3]。1897年(明治30年)に十二代目守田勘彌が急死した後には不遇をかこった[3]。 故郷凱旋と死去 凱旋した東雲座 1909年(明治42年)8月には郷土の碧海郡知立町にある東雲座(後の知立劇場)の公演に出演した[2]。「郷土のうんだ名優蓑助きたる」などとして大変な騒ぎになったとされる[1]。9月には碧海郡刈谷町の大生座(たいせいざ)の公演に出演したが、持病のリウマチが悪化して入院した[1]。9月10日には心臓麻痺を併発して死去した[1]。 養嗣子には刈谷市文化財保護委員を務めた佐藤峻吉がいる[3]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 6 7 8 9 『知立のあゆみ』知立町、1966年、p.69 1 2 3 4 5 『写真集 明治大正昭和 知立』国書刊行会、1980年 1 2 3 4 5 6 7 野村泰三『知立の文化財と史跡』知立市文化協会、1990年、pp.118-119 参考文献 『知立のあゆみ』知立町、1966年 野村泰三『知立の文化財と史跡』知立市文化協会、1990年 Related Articles